似顔絵にまつわるエピソード(その26)|似顔絵の描き方が驚くほど上達する方法

(※とある男性の手記です)
似顔絵は、心で描け。

事あるごとにそう言っては、僕ら生徒を鼓舞してくれる、絵の先生がいた。

相手が、自分にとってどう見えているのか、逆に言えば、自分が、相手をどう見ているのか、それを表現するのには、どんな言葉よりも、似顔絵を描くのが一番なんだ。そういった主旨のことを、四六時中言い続けてはばからなかった。

それ故、似顔絵は、小手先の知識やテクニックなんかで描くものじゃない、心で描くんだ、と。

それを、僕らは、何百回、何千回、いや何万回と聞かされて、徹底的に、まさに骨の髄まで叩き込まれる。

要するに、その「境地」に達してしまっている人だった。我々からしたら、まさに「雲の上の存在」であった。

その先生にとって、似顔絵の標準的な描き方、その手順やセオリー、それらをまとめた教科書やマニュアルの類い・・・等々は、全くもって無意味だった。そんなものを超えた、その先の境地に達してしまった人だったから。

だから、こう言ってしまっては何だが、先生の教え方は、特殊で難解だった。誰にでも分かる、誰でも上達出来る、そういった教え方ではなかった。要するに、全く万人向けではなかった。つまり、ついていけない人は、全くついていけなかった。先生が言っていることの意味すらつかめず、先生の元を離れていった生徒は、いったい何人いるのだろう。

実は僕も、先生についていけずに早々に脱落しそうになった者の一人である。もう辞めようかと思ったその時、仲間に助けられ、かつ、仲間に紹介してもらった、とある似顔絵マニュアルのお蔭で、事なきを得た。

先生、今だから言えるけど、僕は先生の教えだけではここまでにはなれなかった。先生の教えは、僕には難しかったよ。でも何とかついていったし、今は先生の言っていたことの半分くらいは理解出来るような気がする。

そんな先生も、もうこの世にはいない。90歳を優に超え、大往生だっただろう。

だけど、(月並みな言い方だが)僕を含めて、たくさんの生徒の胸の中に、先生の魂は生きている。僕らが、今日も似顔絵を描き続けることが、先生への何よりの供養になると信じて。

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