似顔絵にまつわるエピソード(その37)|似顔絵の描き方が驚くほど上達する方法

(※とある女性の手記です)
あの時の息子の顔は、今でも鮮明に覚えている。
そして、これから先も、決して忘れることはない。
後にも先にも、息子のあんな顔を見たのは、その一度だけである。



息子は、鉛筆やペンで「描く」ということを覚えてから、何かにつけて私の似顔絵を描いて、プレゼントしてくれた。

思い返せば、2歳になるかならないかくらいから、小学校4年生くらいまでは、ずっとそれをやり続けていたような気がする。

もちろん、最初の頃は、似顔絵というよりただの落書き、ぐちゃぐちゃと何が描いてあるのか全く分からない状態であった。

「ママ」と言いながら渡してくれるものの、ただグルグルと渦巻きみたいなものが描いてあるだけだったり。

3歳近くになってからだろうか、ようやく目と鼻と口の区別がつくような絵を描いてくるようになったのは。



その日、私は大変ムシャクシャしていた。
主人と喧嘩でもしたのか、体調が悪かったのか、その理由の詳細は全く覚えていないのだが、とにかくムシャクシャしていたことだけは鮮明に記憶している。

そんな時、いつものように、息子が似顔絵を描いて、渡してきた。

ちゃんとハッキリと目があって鼻があって口があったから、息子が3歳以降のことじゃないかと思う。
いつもは、どんなに忙しくても、満面の笑みで「ありがとう!」と言いながらちゃんと対応しているのだが、その時は、「ハイハイありがとう」といった程度で、軽く受け流してしまった。

それだけにとどまらず、異様に鼻だけが大きいその絵を見て、何だか妙に腹が立ってしまったのだ。
そんなことで腹が立った理由は、よく覚えていない。何度も記憶の糸を手繰って思い返してはみたものの、今でも分からない。ともかく、余程、ムシャクシャしていたのだろう。

なんと私は、息子が見ているにも関わらず、こともあろうにそれを片手でクシャっと丸め、ごみ箱に放り込んでしまったのである。

その時の息子の哀しそうな顔。泣くでもなく、喚くでもなく、ただただ呆然として、哀しみだけを露わにしたその顔。

「あっ!」と思った時は、もう遅かった。

無言で息子は、私の前から立ち去ってしまった。

それ以降、しばらくは自分から似顔絵を描いてくれることもなかった。

寂しさと申し訳なさから、私から何度かリクエストをしているうちに、また描いてくれるようになったのだが。

たった一度とはいえ、一時の感情で、息子にあんな表情をさせてしまった自分が、今でも本当に情けない。

それは、ある種のトラウマとして、今でも私の心のデリケートな部分を、時折鋭く突っつく。

息子にとっても、変なトラウマにならず、成長した時にふと思い出す、遠い思い出となってくれれば良いのだが・・・。

息子がもう少し大きくなって、私の心の傷がもう少し癒えたら、どう感じたのかしっかり聞いてみたい。

もちろん、心からの謝罪と共に・・・。

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