(※とある女性の手記です)
どんなささいなことであっても、毎日欠かさずにやり続けるというのは、容易なことではない。
毎日欠かさずにやり続けるということは、朝起きて顔を洗うとか、歯を磨くとか、食事をするとか、夜お風呂に入るとか、寝る前に戸締りを確認するとか、そういったことと同じレベルに持っていくということであり、特に私のような三日坊主を地で行くような人間にとっては、並大抵の努力では決してなし得ないことなのだ。
だからこそ、私は母親を尊敬する。
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私が中学校に入学し、高校を卒業するまでの6年間、母親は、それを欠かしたことがなかった。
一日たりとも、である。
体だけはすこぶる丈夫に生まれてきた私は、中学・高校と6年間、これまた一日たりとも学校を休むことはなかった。要するに皆勤賞である。
母親もそれに、一度も休むことなく付き合ってくれたという訳だ。
口で言ってしまうとこれだけのことなのであるが、それが凄いことであるというのは、誰よりも私が一番感じている。
さらには、私だけでなく、弟が中学校に入学してからは、弟にもやるようになった。
ただ、小っ恥ずかしいという弟の必死の抵抗に遭い、ほどなくして渋々とやめてしまったようであるが。
とにもかくにも、このことだけで、私は母親を尊敬し、頭が上がらないのである。
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さて、母親は何をやり続けてくれたのか。
弁当のご飯の上に、ノリや梅干しや卵などを駆使して、(私や弟の)似顔絵を作ることである。
今でこそ、「キャラ弁」などといって、動物やマスコットや人気キャラクターなどを具材を使って表現した弁当が話題となり、流行っているようではあるが、まだまだそういった発想が一般的でなかった時代の話であるが故、最初に見た時の私の衝撃は非常に大きかった。
しかもそれが毎日続いたのだから、いつしか衝撃は喜びに変わり、そして徐々に母への尊敬の念へと昇華されていった。
そして私も毎日毎日、ひそかにそれを大変な楽しみにしていたということは、言うまでもない。
最初は、似ても似つかず、とてもじゃないが似顔絵とは呼べないということも多かったけど、だんだんと進化していったその様子は、今考えてみても見事だったというほかない。
誇るべき、我が母親である。
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そして・・・。
私自身が母親となった今。
親をまねして、私が娘のお弁当に注力しているのは言うまでもない。ただ・・・。
タコさんウィンナーを作ることですら億劫な私には、お弁当で娘の似顔絵を毎日・・・というのは到底無理のようである。