似顔絵にまつわるエピソード(その8)|似顔絵の描き方が驚くほど上達する方法

(※とある男性の手記です)
未だかつて、ここまでシンプルかつ特異な似顔絵を見たことがあっただろうか―――。

理由を聞かれても困るのだが、私はとにかく小さいころから絵を描くのが大好きだった。物心ついた時から、大人になったら画家になるんだ、一日中、大好きな絵を描いて暮らすんだと、毎日そんなことばかり考えていた。それが仕事になって、お金を稼げるなんて、そんな素敵なことはないと、ずっと思っていた。

その夢は、思春期を過ぎ、いい大人の年頃になっても変わらず持ち続けていたのであるが、人生はそれほど甘くないというか、大方の予想通りというか、私は現実の厳しさを知ることになった。学校こそ美術系のそこそこ著名なところを、(自分で言うのは何だが)かなりいい成績で卒業したものの、絵を描いてお金を稼ぐには至らなかった。いや、実際には現在も夢を諦めている訳ではないので、「至っていない」と現在形で言うべきか。ともかく今は、WEBサイトのデザインから現物商品のパッケージデザイン、本や雑誌の挿絵の仕事など、舞い込んだ案件を片っ端からこなすことで何とか食いつないでいる。それでも、これまでやってきた芸術(アート)や創造(クリエイト)の分野に、少しでも携われていることを幸運と考えるべきなんだろう。

一方で、家族や友達の似顔絵を描いて、喜ばれることもしばしばある。その瞬間だけは、絵を描いてきて良かったと思う。だが実際は、私の心には巨大な空白と底知れない虚無が棲息しており、それが日々破竹の勢いで存在感を増している。このことは私自身しか知らぬ事実であるが、こうして文章にしてみると、世界中の人々に自らの弱みを晒しているようで、途轍もない羞恥心が全身を襲う。

そんなある日、姪っ子(4歳)が、自分の母親(つまりは私の妹であるが)の顔を描いたと、ノートの切れ端に鉛筆で描かれた絵を見せてくれた。

その瞬間、私の中で、何かがはじけた。

何のことはない。よくある幼児のお絵描きである。髪の毛と、顔の輪郭と、目と、横線一本の口があるだけの、大人なら5秒もあれば真似して描けるようなものである。

だがその絵には、鼻がない。

なのに、紛れもなく、これは私の妹なのだ。誰が見ても、私の妹と分かるのだ。そこで、冒頭の台詞である。

姪っ子は、母親の顔を描いた。恐らく、大好きな母親を想い、顔を思い浮かべながら、これでも一生懸命に描いたはずなのだ。

その想いや気持ちが、伝わってくるのである。だから、似ているのだ。だから、鼻なんかなくても、私の妹だと分かるのだ。

私は、心底、自分が恥ずかしくなった。

小さい頃から夢に見ていた画家になれていない自分、目標を達成出来ていない自分、現実世界に日々忙殺されてしまっているふがいない自分、そんな自分に嫌気がさし、半ばふてくされながら、ただ仕事をこなし、日々を生き、人生を浪費していることを、心から恥じた。自分で自分を思いっきり殴ってやりたかった。

私は仕事に、想いや気持ちを込めているだろうか。日々の生活を、一生懸命送っているだろうか。人生に、感謝の念を抱いているだろうか。私の魂は、どこにあるのだろうか。

ない。そんなものは、なかった。4歳の女の子でさえ、母親が大好きというその想いを絵に込めながら、彼女なりの魂を垣間見せたというのに。

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ほっこりするというより、なんだかある意味ちょっと怖くなるような話でもありますね。私も自分を見つめ直したくなりました・・・。

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