似顔絵にまつわるエピソード(その9)|似顔絵の描き方が驚くほど上達する方法

(※とある男性の手記です)
彼女が、本当に好きだった。

無口で、要領はお世辞にもいいとは言えなくて、だけど手先だけは妙に器用で、あらゆる「創作」の類いをすべてソツなくこなす、そんな彼女が大好きだった。

彼女は会うたびに、僕の似顔絵を描いてくれた。もちろんそれも、見事な腕前だった。

彼女のキャンバスは、午後の穏やかな雰囲気溢れた喫茶店のテーブルにあるナプキンだったり、少し肌寒い夏の終わりを感じさせる海岸の砂浜だったり、朝を迎えるまで取り留めもなく一緒に過ごした僕の部屋にある南側の曇った窓ガラスだったり・・・。

会話がふと止まると、若干神経質なその性格を感じさせるようなこじんまりとした動作で、何気なく似顔絵を描き始めるのが彼女だった。僕の様々な表情を的確に捉え、毎回違った趣を見せるそれに、いつもいたく感心させられた。

好きとか、愛してるとか、言われたことは一度もない。

だけど、その似顔絵から、いつも僕は愛を感じることが出来た。言葉なんかなくても、いや、むしろ陳腐で使い古された言葉なんかよりも、よっぽど強く愛を感じることが出来た。それは、無口で器用な彼女ならではの、最高の愛の表現だった。

今はもう、似顔絵を描いてくれることもない。

描いた後、どうだと言わんばかりにそれを見せながら、僕に微笑みかけることもない。

今はまだ薄らと残っている窓ガラスの似顔絵も、いつしか、消えてしまうだろう。
それでも、僕の記憶から、彼女が描いた似顔絵が、消えることは決してない。

それはどんな想い出よりも、僕の心に強く刻まれてしまったのだから。

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