似顔絵にまつわるエピソード(その10)|似顔絵の描き方が驚くほど上達する方法

(※とある女性の手記です)
痛車(いたしゃ)というものがある。車のボンネットに、アニメのロゴやキャラクター(特に美少女もの)がでかでかと描かれている、あれである。

それ自体は人それぞれの趣味だし、私もアニメは適度に嗜むほうで、街中で走っているのを見て楽しませてもらったりしているので、少しも否定するものではない。しかし、彼氏がそれをやると言い出した。しかも、私の似顔絵を描くという。こうなれば話は全く別である。

曰く「これが自分の愛の表現」だという。もちろん、やめてほしいと嘆願した上、人が嫌がることをするのは愛でも何でもなくただの自己満足であると、厳しく非難した。

それでも彼は、「出来上がりを見れば絶対に気に入るから」と、聞く耳を持たない。私は、本気で別れを考えるようになった。立腹したということもあるが、ことここまで自分が巻き込まれ、拒絶にも耳を貸さず、説き伏せる隙が無いとなると、今後やっていけるのかという不安が頭をもたげてくるのも当然の成り行きだ。こういう少し変わったところが彼の個性だと思っていたし、私が惹かれる部分でもあったのだが、今回はこれまでとは全く事態を異にする。私は悩み続け、自然とこちらからの連絡は途絶えがちとなった。

そんなある日、彼から「完成披露会のお知らせ」という件名のメールが私のスマホに届いた。これだけ各種コミュニケーションツールが普及しても、頑なにメールを利用するのが彼だった。そんなところも、微笑ましく受け入れていたんだけどな・・・などと愚痴っぽく考えながらメールを開封してみれば、案の定、件の車が出来上がったから見てほしいとの内容だった。

私は、車を見るためというより、彼に別れを告げるために、指定の場所へ出向いた。もちろん、別れたからには、私の似顔絵をモチーフにしたそんな装飾などきれいさっぱり消し去ってもらうつもりだった。そして・・・約束の時間より少し遅れて現れたその車は、私の予想を大きく裏切るものであった。
まず私の顔を美少女アニメ風の似顔絵にしたというその装飾だが、そもそも決して私には似ておらず、知人が見ても絶対に私とは分からないであろうものだった。それどころか、通常の痛車のようにその装飾自体の主張が強すぎるということもなく、ボディカラーとも相俟って適度になじんでいる。なるほどこれは、こういった類いの中ではなかなかセンスがいい方なのかもしれない。確かに彼が出来上がりを見れば気に入ると言っていたのにもある程度納得がいった。ただし、私は断じて気に入った訳ではない。断じて。

どうやら塗装自体はプロに頼んだらしいのだが、そのドラフト(下絵)は漫画家志望の友人(彼はこちらもプロと呼んでいたが)に頼んだらしい。作品としてはさすがにクオリティの高いものと思われたが、私の似顔絵という肝心な部分が完全に抜け落ちてしまっているように思われた。それでも彼氏は、「まぎれもなくお前だ」と言ってはばからない。まいっか、そう思わせておけば。何だか、いい意味ですべてがどうでも良くなった。

そんなこんなで彼とは今でも何とか続いている。私自身、麻痺してしまったのか、元々アニメは嫌いではないからか、初めは少し抵抗のあった彼の車の助手席も、今では恥ずかしいとも何とも思わなくなった。それにしても、似てなくて歓迎される似顔絵というのも、なかなか珍しいのではないだろうかと、つくづく思い返すことがある。そして、絵の出来栄え一つで関係を維持したり別れたりしてしまうという自分の単純さ、ひいては人間の身勝手さ、現実世界の怖さみたいなものを、改めて学んだ一件でもあった。

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