似顔絵にまつわるエピソード(その11)|似顔絵の描き方が驚くほど上達する方法

(※とある女性の手記です)
母の日に、5歳の娘から似顔絵をもらった。通っている幼稚園で描いてきてくれたものである。

そこまでは、どこの家庭でも、どこの幼稚園でも、よくある話である。

ちょっと違うのは、「ママのかおをかこう!」と、(幼稚園が用意してくれた)紙の上部に書いてあるにも関わらず、顔だけではなくて、体も含めた全身が描いてあったことか。まぁそれとて、ない話ではない。よくある話の範疇だろう。そして、顔だけが強調されて、サザエさんの登場人物以上にやたらと体が細くて小さい(顔が馬鹿でかい)絵となってしまっていることも。

また、その似顔絵が実際の私に似ているか似ていないかといったことも、さしたる問題ではない。

ただ、それ以外に、よくある話では決して済まされない、看過することの出来ない部分があった。
大きな顔の下に、細くて小さな体。その私(を描いた絵)の後ろに隠れるように、とても小さい、私の胸のあたりまでの背丈の、人の絵が描いてあったのである。一瞬、娘自身かとも思ったが、恐らく、いや、ほぼ間違いなくこれは男性。

これは何だ?というか誰だ?パパか?私の尻に敷かれて小さくなっているパパを、表現しているとでもいうのか?子供なりの嫌みか?皮肉か?何かの警告か?

何とも言えないあらゆる感情が私の脳内に秒速で渦巻く中、当の娘が、トドメを刺してくれた。

「ママ・・・とパパ」

やっぱりそうなのか?パパをあまりいじめるなってことか?先日、喧嘩した後に作ったナポリタンに、怒りに任せてパパの分だけたっぷりタバスコをかけてやったのを見ていたのか?その後、何も言わず黙々と食べるパパが咳き込んで、ちょっと涙ぐんでいたことに気付いたのか?それとも・・・。

「な、なんで、パパも描いたの?しかもこんなに小さく?」

娘の説明によれば、ママの絵なんだけど、パパが悲しくならないように、ちょっとだけパパを描いたということらしい。要するに、ママだけに似顔絵をプレゼントすることで、パパが嫉妬してしまうと思ったらしく、可哀想だからパパも描いたということのようである。

私は、ホッとすると同時に、何だか自虐的な疑心を持った自分を心より恥じた。子供のピュアな心に、大人がくだらない疑念を抱いて土足で踏み込んでしまった感覚である。言葉にこそ出さなかったものの、私は心の中で娘に「ごめんね、ごめんね」と、ひたすら謝っていた。

そして、「父の日には、パパの絵に、ママも描いてあげるね」と、屈託のない笑顔で話す娘を見て、思いっきりギュッと抱きしめずにはいられなかったという訳である。

それにしてもつくづく、子供というのは時に、信じられない発想で、思いもよらないことをしでかすものである。そういった部分が削ぎ落とされ、「一般」とか「常識」とか言った言葉の意味するところを学び、それに沿った言動を身に付けて大人になっていくことが、果たして良いことなのだろうかと、少し(ほんとに少しだけ)真面目に考えてしまった一件であった。

<% metaKeywords %>

タイトルとURLをコピーしました