わずか○ステップで似顔絵が描ける!などと謳う似顔絵講座はいくつかあります。
もはやこの、「わずか○ステップで・・・」というのは、何かを習得したり上達を目指したりするための教材や講座などにおける、常套句なのかもしれません。
それは、結局どういうことか。
多くの場合、決して、宣伝のために、大袈裟にそう謳っている訳ではないのです。
※もちろん、中にはそういう類いのものもあるかもしれませんが、大抵は実際にきちんといくつかのステップに分割して手順が示されています。その理由は以下の通りです。
料理などでも同じですし、学校の勉強などでも同じ、つまるところ結局、何事でも同じなのかもしれませんが、物事を進めるにはセオリーがあり、それは決して似顔絵も例外ではありません。
それは言い換えれば、セオリー(手順※)通りにマネをするところから始めれば、誰でも無理なく上達することが可能ということなのです。
教材や講座などでは、そのセオリーを、段階を踏んで○ステップなどと纏めることにより、分かりやすく解説しているということなのです。実は複雑に見えるセオリーも、整理すればシンプルに纏められることが多いんです。
・・・と、ここまでは、「似顔絵には描き方がある」のページでも同じようなことに触れている通りです。
もはやそれこそ、似顔絵の「描き方のセオリー」を押さえることが、「上達のセオリー」であるということですね。
そして今回、あえて触れておきたいのが、さらにその先のこと。
これも似顔絵に限らずですが、どんな道であっても、上級者はそのセオリーをわざと外したり、別のセオリーを編み出したりするのです。
そしてそれが見事に、「個性」というものに繋がっていたりするんです。
ただ、勘違いしてはいけないのは、王道のセオリーを押さえた上での「外し」である、ということ。
基本も何も出来ていない人が、「これが自分のセオリーだ!」と独自の持論を展開しても、それはただの自己満足に過ぎません。
「守破離」(しゅはり)という言葉があります。
元々は武道などを極める過程における思想や教えなのですが、簡単に纏めると・・・
「守」(しゅ)
最初は、師匠に言われた流儀や、基本の型を「守る」。
「破」(は)
その後、自分に合わせて、既存の流儀や型を「破る」。
「離」(り)
最終的には、流儀や型というものに捉われず、自由自在にそこから「離れる」。
という考え方です。
これを見ても分かるように、何事もまずは「守」、すなわち、流儀や型を守るところから始まる訳です。
先人のマネから始まると置き換えてもいいかもしれません。
これが、似顔絵の描き方における「わずか○ステップ」のセオリー、と考えられます。
そして上達すればするほど、すなわち、上級者になればなるほど、「破」へ、さらには「離」へと、ステップアップしていく訳です。
「離」に到達した者は、既存の流儀や型などには全く捉われない、独自の境地を開拓するほどのその道のマスターなのです。もう、怖いものなしの境地ですね。
ただ、そういった人たちも、最初は間違いなく「守」から始まったということを、忘れてはなりません。
いずれ「破」、さらには「離」の境地に達することを目指して、まずは「守」から、ぜひ始めてみませんか。