似顔絵にまつわるエピソード(その29)|似顔絵の描き方が驚くほど上達する方法

(※とある女性の手記です)
もう、ダメかもしれない。

限界だった。営業のノルマも、上司からのプレッシャーも、社内の冷たい雰囲気も、何もかもが私の心に重くのしかかっていた。

その仕事に疑問を感じ始めたのは、営業に配属されて数ヶ月経った頃、今からもう1年も前のことだった。

最初こそビギナーズ・ラックもあってそこそこの成績を収め、順風満帆な船出と思われたが、そもそもが不慣れな営業職、それもいい歳をして人見知りの私が飛び込みを中心とした活動で契約を勝ち得ていくなど、やはり相当な無理があったのだろう。徐々に結果が出なくなり、同僚が次々と成果をあげていく中で一人取り残され、みんなの輪の中に入れない孤独感と、上司からの容赦ない叱責と、自分のふがいなさを呪う自己嫌悪とが、私の精神を徐々に蝕んでいくのが自分でも分かった。

それでも頑張ってきたつもりだった。歯を食いしばって、どんな経験でも必ずや人生の糧になると、毎日自分を鼓舞しながら続けてきた。

でももう、それも終わりにしたかった。

そんなある日、もはや失望と虚脱の入り混じった感情の中で、ふらりと立ち寄った公園の一角に、似顔絵師の姿があった。

「席描き」と呼ぶらしいが、希望者の似顔絵をせいぜい数十分程度で描き上げてくれる、アレである。
その時の心境は、正直あまり覚えていない。雲の上を歩いているようなふわふわとした感じで、しっかりと地に足がついている感覚が全く無かったことだけは記憶にあるが。

ともかく私は、何故かその似顔絵師に、似顔絵作成を依頼していたのである。

十数分が経過しただろうか、似顔絵師に促され、出来上がった似顔絵を目にした私は、不覚にも、その場で涙を流してしまった。

似顔絵の私は、何とも悲しげで、哀れで、とてつもなく痛々しい顔をしていたのだ。

私は今、こんな顔をしていたのか。こんな顔で、街中を歩いていたのか。こんな顔で、電車に乗っていたのか。こんな顔で、お客様と相対していたのか。

恥ずかしさと切なさと、そして自虐的な思いで胸がいっぱいになり、こぼれる涙を拭うことすらせず、私はその場を後にした。



別の仕事に就き、毎日が充実している現在、この経験も良い想い出として思い返すことが出来るようになった。

そして今、あの似顔絵師には、心の底から感謝している。思うに、悲痛な私の顔をそのまま表現したものかどうか、恐らく散々悩んだのではないだろうか。だけどああやってありのままの姿を描いてくれたことで、今に至る道程があると思えてならないのである。

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